なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない


いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない


どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

 

縦の糸はあなた 横の糸は私


逢うべき糸に 出逢えることを


人は 仕合わせと呼びます

 

 

諦めることの楽しさ

日経記事の建築家隈研吾さん

 

挫折した際に

人生は思い通りにはならない と思ったら、自由になれた

いい仕事  という業界の選別が刷り込まれていた  

小さな仕事でも楽しんでやれる自信がついたことが最大の幸せ

 

 

昨日考えたこととリンクした

隈研吾さんも、運命の道を歩いていることに気づいたんじゃないかな

だから、どんな仕事がいい悪い、羨ましい羨ましくない、とかそういう概念から解き放たれたんじゃないかな

自分の魂・心が一番ときめく仕事をしよう、って決めたんじゃないかな。そうしていたら、オリンピックまで自然に辿り着いたのだろう。

 

そう、それが運命の道

 

諦めることの楽しさ   人生の最高な気づきじゃん

 

諦める  ってのは、勝手に作り込まれた世の中の価値観からの解放だよ

撤退みたいな概念ではなくて、100%ポジティブな言葉なんじゃないかな

 

おれも、諦めて、世の中の価値観から早く解放されよう

 

人生とは 運命の道 を歩くこと

仕事を頑張ってきた道のりで、思い描いていた絵の1つ

新しい景色が見たい、そして自分が同じ次元に辿り着けたなら、真に本物 と感じる人間と話したい。

それが描いた絵の1つ  今日思い出した

 

この二人を見ていて思い出した

https://m.youtube.com/watch?v=uNNLLqMGm3k

本物同士が引き寄せあった時、1人よりもはるかに素敵な世界を創れる。本物同士は引き寄せ合う。もう、神様との約束かのように、引き寄せ合う。

そして、世界を昨日よりも一歩素敵なものに変えるんだ。

 

正義の味方、ヒーローになりたい。

6歳で思っていた。弱者を救う正義の味方。

想像は、ずっと1人ぼっちのヒーローでしかなかった。

それは、信頼できる、と思える人間に1人も出会ったことがなかったからかもしれないね。

人間って8割以上は自分を優先する信頼できない人間なんだな、って、中高の同級生を観察してて思ってた。自分がどちらかは自分では分からないけど。

100%信頼できる人間、なんてそもそも想像さえしたことがなかった。

想像すら出来なかった。いるわけないから、いて欲しいとさえ願えなかった。

 

最近は、1人のヒーローよりも、船のようなものをイメージするように自然になった。

仲間がいるイメージか。

100%信頼出来る人に出会ったからかな。

 

1人で成功することの寂しさ・虚しさも理解したからもあるのかな。

 

三浦大知久保田利伸  もう見て自然に心が踊っちゃう、自然に笑っちゃう。本物同士じゃん、って。

 

本物になれなくたって全然問題ない。

ただ、もし、自分と大切な人以外も幸せにしたいなら、本物になる努力を続けないといけない。

三浦大知のcry & fightじゃないけど、cryしながらも、戦い続けないといけないのでしょう。

 

その先に、心が自然と躍ること  があるのか、そんなものは手に入れたと同時に失う本質的ではないことなのか、今は分からないけれど、

 

魂に聞くしかないんだ、もう。

正解なんて、現在から考える限界があるんだから。

 

魂の声に耳を澄まして、

自分を信じてあげて、決断するしかない。

 

一般的な価値観・常識なんかに囚われた考え方から抜け出して、魂に聞くしかないんだ。

どの道を通るのも、希望と恐怖どちらの可能性にも満ちている。安全な道も、変わらぬ恐怖が潜んでいるものだから、絶対に安全そうに見える道なんて存在しない。

 

どの道を通るのもあらゆる可能性に満ちていて、

魂の声を1度聞いたなら、もう行くしかない。

あとは、その道を、どういう道にするか、試されるだけ。

 

絶対に、常識通りの結果にさせない。

むしろ、正反対の結果にする。

 

心が自然に躍ること

それは、自分だけじゃない、周りの心もそう自然に躍ること

 

自分だけじゃない

それが出来るか、神様が試してる

怖くなることなんていっぱいあるけど、

神様に届くほど  心も身体も捧げれば、

きっときっと大丈夫

 

 

神様にしか出来ないことが人生で起きて

こう思ってもいいんではないかと

 

人生は、心身どちらも真に努力し続けた場合のみ、神様から与えてもらった  運命の道  を歩けるものなのではないかと。

 

 

人生とは、運命の道を歩くこと

 

 

そう考えると、もう考えて考えて、努力して努力したのなら、

魂の声を聞いて、

決断して、

進むのみ。

 

 

 

それは、神様が決めた、運命の道  なのだから。

自分ではどうしようもない、運命の道を歩くのが人生なのだから。

もう、運命の道、なのだと信じるんだ。この道は運命なのだと。

 

 

 

 

その運命の道は、心から信じている限り、

 

 

必ずハッピーエンドなんだ。

 

 

だって、神様だもの。

 

 

神様

神様がいないと起きないようなことが、自分の人生に起きている。

 

それは突然のことだった。

 

トラウマを克服した時もそう。10年間苦しみ続けて、徐々に小さくなって消えたわけでもなく、苦しみの中で急に解放された瞬間が訪れた。全く想像しなかったことが、ある日突然起きる。

 

神様がいるんだから

 

真っ暗な中、目を瞑って、

 

聞いてみる

 

 

 

 

信じた道を行くのみ

 

魂の声に耳を傾け、神様に届くほど努力していたら、

 

ある日突然、神様からの贈り物が届く。

 

 

 

その日を信じ続けた人だけに見える神様がいるんだ。

それを人生で学ばせてもらえた。

 

だから、また明日からも信じ続けよう。

信じて、信じた道を進もう。

 

その日、を信じ続けて。

必ず訪れる。人生で証明したことだから。

 

その日、を信じ続けて。

 

 

暗闇に差す一筋の光

暗闇に差す一筋の光 になれるのだろうか

そういう存在になれるものなのだろうか

人生と仕事

仕事は何を、よりも、誰と の方が大事 と書いたが、

 

何を、も大事だと思う。

 

でも何を、というのもまた難しい話

ビートたけしのインタビュー、舞台で20人くらい相手に笑わすのは、テレビの仕事よりも充実感ははるかに大きいと。

そう、充実感だけ取るなら、人に近いところでの直接感。自分も社会人1年目の時にあるところに教えに行くことを何回かやったけど、この手触り感の少ない業界において、あの仕事は一番楽しかった。

でも、手触り感を代償に、得てして、規模を失う。

 

大学時代ボランティアをたまにしていた。

障がい者施設に泊まった時に、施設長から言われた言葉を今でも覚えてる。

また来てくれたら嬉しいけど、来れなくても大丈夫。直接助けに来てくれなくてもいい、ここには私たちがいるから。ただ、自分の持ち場でやることを頑張りながら、ここのことを忘れないで、何かしらの形でサポートしてくれる心があれば、あとはここのことは任せて、自分自身の持ち場で頑張ってほしい、と。

スティーブ・ジョブズも、聞いた話で事実が分からないけど、寄付はあまり積極的ではなかったと聞いた。それは、アイフォンを開発することが世界のみんなを幸せにすることだから、そこに全力を費やしたい、と。アイフォンを通じて、世界を幸せにするんだ、と。

つまり、自分の持ち場で全力を尽くして世の中に貢献するんだと。

 

あの施設長の言葉を忘れない。

今は手触り感がなくても、工夫次第で手触り感を出せると思う。イメージできる。

結局、サラリーマンでいるから、枠を決められちゃって、手触り感のない状況が続くんだ。

だから、サラリーマンでなくなるべく、やればいいだけ。自分でルールを創れば、必ず手触り感は出せるから。今はやはり疑問が出る生き方ではある。でも、あの施設長の言葉を忘れていない。

今の延長上に、また道が交わるようになるよ。イメージがあるよ。

そのために頑張っているんだから、精神は死なない。

 

挫折してもいい。必ず次のより大きな、素敵な山が現れて、より良い未来が待っているから。

挫折はむしろウェルカム。

ただただ、絶対に、神様に届く努力なしに、より良い未来はないから。それだけは肝に銘じて。

 

挫折したら、今度は何か手触り感から始めてもいいかもな。

塾でも開こうかな。

ちょっと、やっぱり、手触り感から離れ過ぎたからなあ。

 

一見不幸に見える挫折は、次のより大きな、素敵な飛躍への起爆剤になることが多い。

そのための唯一の条件は、神様に届くほど努力すること。それが出来ないなら、絶対に挫折の後の飛躍はない。

 

とにかく、やるだけやろう。

挫折したら、人生ゼロベースにして、手触り感から始めるか。

 

 

 

そう、思い出した。

小さい頃から一番好きなドラマかな。織田裕二の お金がない。あれは本当的を射ていると思う。

幸せとお金の相関は、あるところからマイナスになると思って生きてきた。この話をして理解してもらったことはない。むしろ反発されたりするから、誰にも言わなくなったけど。自分の業界がお金好きな人がかなり多い特殊な業界だから、まあ理解されないのが普通のことなんだけど。

 

そうか、人生のパートナー、今採用しようとしてる人、一緒にプロジェクトをする人、みんなに共通してるのは、この業界にあって、お金に目がくらんでない。そういう心に、自分の心が、反応しているんだね。

結局、もう、人生は心が綺麗な人と一緒にいたい。

だって、本当に人は頑張っても周りから多少なりとも影響されてしまうから。

心が濁っている人の近くにいると、綺麗な心ほど影響されて萎縮したりするもの。

 

心が綺麗な人と一緒に人生を生きたい。

そういう基準で人と接していこう。もう、優しさで自分を犠牲にするのではなく、人を選んでいかないと。

心が綺麗な人と生きていく。それは素敵な繋がりに必ず広がるから。

そういう絵を描いて、想像していこう。

 

 

あと一年、手触り感はないけど、この道をしっかり走り切ろう。

挫折したら、次のより素敵な飛躍へのチャンス、喜んで挫折と友達になろう。そして、手触り感のあることから始めようかな。まあ、その時考えればいいよ。働き過ぎたからちょっとは休もう笑

そして、人は、心の綺麗な人と生きて行こう。ちゃんと、優しさで自分を不幸にするのはやめて、心の綺麗な人と生きる。

 

さてさて、

 

人生どうなるか本当分からないけど、

 

いつか神様に向き合った時に、

 

しっかり一瞬も目を逸らさず、自信を持って、

 

この人生、出来る限りの愛を持って出来る限りの努力をし続けました

 

と言えるように。

 

 

 

腑で思考する

腑に落ちない  という言葉

 

臓器である 腑 は、それ自体で考えている という意見を聞いたことがある

 

それが本当ならば、仕事中、物を胃に、腑に入れたくない本能的な理由かもしれない

 

今繫がった

 

腑が消化に使われると、腑自体が思考しているならば、

 

それを阻害してしまうから

 

だから、考えていると食べられないのかもしれない

 

そして、おれは、脳みそだけではなく、

 

腑 自体が思考している、と感覚的に思っている

 

腑が中心で身体全体で考えていると思っている

 

 

 

自体の運命、身体、習慣、いろいろなものに、今まで自分自身が気付けていなかった  真の理由があるものなんだね

 

 

 

自分の運命に気付けたのは、人生で一番、圧倒的に一番大切なこと